恋はみずいろ

この曲はご存知の通り、今年の11月3日に亡くなられたポールモーリアの作品の中でも最も有名な曲の1つだと思う。

タイトルは原題のフランス語(僕はフランス語はまったくできない)では「L'amour est bleu」、英語では「Love Is Blue」で、「水色(light blueなど)」ではない。

しかしながら、この曲の邦題は「恋はみずいろ」であって、「恋はあおいろ」でも「愛はみずいろ」でもない。いくらでも他に訳し様がありそうなものだが、不思議なもので「恋はみずいろ」しかありえないように思える。むしろ、何だか始めからそう訳されるために存在している気さえしてくる。訳題が原題を迎えに行った感じだ。

これを「優れたネーミングセンス」と言ってしまえばそれまでだが、それでは何だか味気ない。何かこう、もっと言葉にできないような、決められた偶然が働いてそこに落ち着いている気がする。

その力は多分、言葉にしてはいけないものだと思う。理屈を越えてそこに現れたものは、理屈でなく感性で受け取るのがいいのだと思う。