いくのの道も遠ければ

まだふみもみず天橋立に行ってきた。両親が、京都で開かれた姪のソフトボールの試合を見に来るついでに天橋立を観光する旅行に行きたいと言い出したので、これ幸いと僕も便乗したのだ。旅の極意その1、人の金で行けるときに行け。

出発は25日の土曜日。京都駅で両親と待ち合わせて、特急に乘って北近畿を目指す。窓から保津峡を見たり北近畿の田舎の風景を見ながら2時間くらい揺られた後、天橋立駅に着いた。田舎の風景は落ち着く。根が田舎者だから。荷物をホテルに預け、昼食をとった後でリフトで天橋立ビューランドへ登った。ここに有名な又のぞきの場所がある。しばらく写真を撮ったりソフトクリームを食べたりしながら天橋立の全景を楽しんだ後、再びリフトで山を下りてホテルに戻った。それから母は温泉へ、僕と親父は自転車を借りて天橋立を走ることにした。

天橋立は海水浴場でもある。季節は夏、僕は水着姿の天使達を眺めながら走れるものだと大いに期待していた。想像(もはや妄想)してにやけ顔が直らないまま自転車に乗り、いざ天橋立へ。海辺の砂にタイヤを取られながら、よたよたと走る。脇見したら怪我は必至とわかりつつ、浜辺を見渡した。しかし。僕の興味の対象範囲内の妙齢の女性はほとんどいなかった。

夢を打ち壊された僕は、半ば憮然として親父と海辺に生えている松(いくつかには名前がついている)や史跡を自転車で見て回った。天橋立を向こうまで通り抜けて、それから戻ってきた。(水着美女を見そびれたからこの辺はあまり印象に残っていない。)

宿に戻って、夕食の前に僕達も温泉に入ることにした。ここの温泉には露天がある。壁で遮られた向こうは女湯らしい。嬌声が聞こえてきた。さっきの無念がまた込み上げてきて僕は再び落ち込んだ。

夕食をとった後は特にすることもなく、部屋でゴロゴロ。両親は夜が早いので、世界陸上をみながらさっさと寝てしまう。僕も、どこかで一晩のお相手を、とかいう不埒なことは考えず、さっさと寝た。

朝は両親がテレビを見てる音で目が覚めた。時計を見ると、まだ5時半だった。母は昨日天橋立を直接踏んでいないので、散歩がてら案内することに。ところが、母は天橋立がどこにあるのか全然把握していなかった。昨日ビューランドから眺めたのに。リフトで下りてくるとき目の前に見えたのに。ホテルの部屋の窓から僕と親父が天橋立を指差しながら「あれだね」とか何とか散々言ってたのに。「何でそっちへ行くの」とか言われつつ、とりあえず案内した。ちょうど日の出の時刻で、朝日がきれいだった。

散歩の後はもう一度温泉へ。今度はサウナに入った。暑い。取り敢えず壁を向いて座禅。「達磨面壁九年」。もちろんそんなに耐えられない。「僕サウナ九分」。達磨の約518400分の1。

朝風呂の後は朝御飯。和食、洋食のバイキング。僕はごはんと納豆と味噌汁で和食を食べた後、クロワッサンとカフェオレ(コーヒーとミルクを半々に注いで自分で作った)でフランス式朝食。

そして天橋立を後にした。まだふみもみず天橋立が、まだ踏みもみずではなくなった。誰かに文を送ろうかと思った。