姪と厄年とピカソとワタシ 〜笑う仲居さん〜

旅行2日目。天橋立を発った一行は福知山へ向かった。昨日は座席を回して3人が向かい合って座ったんだけど、この日の電車は座席が回らなかった(本当は回るのだけど、回しかたがわからなかった)ので両親が隣り合って腰掛け、僕は一人で座った。旅のお共は本と音楽と決まっている。バッハのヴァイオリン協奏曲を聴いているうちに、大江山駅に電車が止まった。大江山いくのの道も遠ければ〜。天橋立を思い出した。福知山へ着いてから、以前にも来たことがあることを思い出した。去年の春だ。福井へ研究会へ行くときに電車待ちの間立ち寄ったのだった。

ここでの用事は姪のソフトボールの試合を見ること。とは言っても試合を全部見る気はない。バスもタクシーも値段はあまり変わらなさそうだったので、タクシーで試合会場へ。既に試合は始まっており、6回の表か裏。親父がスコアボードを見に行ってみると、大差で負けていることがわかった。試合は結局そのまま負けてしまった。姪と少しだけ話した後、すぐに福知山に折り返して京都へ向かった。電車の中では斜め前に家族連れが乘っている。日曜日なので、観光旅行帰りだろう。大変五月蝿いが仕方がない。延々本を読んでしのいだ。

京都へ着くと、荷物を駅に預けて四条河原町へ。阪急百貨店の上階で昼食。僕が以前みつけた安くて結構旨いとんかつ屋。その後親父が先斗町を歩いてみたいと言うので、歩くだけならただと言いつつ三条まで歩いた。そこからバスに乘って平安神宮へ。そこで、僕が去年本厄だった事実が判明した。道理で悪いことばかり起こっていたはずだ。おかげで人生のプランを大きく方向転換せざるを得なくなってしまったほどなのだ。ちなみに一昨年は前厄。今年は後厄。一昨年は去年ほどではない厄事に見舞われ、今年もそれなりの災難に見舞われている。とは言えまあ、そういったものは半分は心理的な問題だ。悪いことが起きたときに、それを悪いことだと思うかどうかで変わってしまう程度のものだ。しかしながら、今年が後厄だとわかってしまったら今後起こる悪いことを全てそのせいにしてしまいそうだ。ということで厄除けのお守りを買った。

それから、近くにある京都市美術館フィラデルフィア美術館展へ。本物の絵を見るときは解説なんか読まない。ひどいときはタイトルすら見ない。作品があって、自分がいる。それだけだ。一番好きになったのはピカソの絵。作品の前に立つと、魅入られてしばらく動けなくなる。それくらいのエネルギーがある。そして焦点が定まらなくなる。作品のどこをどう眺めればよいのかわからない。ピカソっぽい絵は他にもあった。でもピカソとは違っていた。

3人ともくたくたになって今日の旅館に着いた。早速風呂。大浴場へ行く。ちょうど僕と親父が入ったとき、中にいた人がみんな出てしまったのでほぼ貸切状態。僕等好き放題(というのは冗談)。風呂から出て鍵を持った母を待っているとき、額に入った書を見ながら、親父は「これは魚拓か」と言いだした。違うよ。「一期一会」って書いてあるんだよ。

上がってからしばらくしたら夕食が運ばれてきた。運んできた仲居さんがとても気さくで面白い女性だった。軽い冗談で笑ってくれたので、ついつい冗談のサービスをしてしまう。僕の悪い癖だ。食事中、親父が昔一人、または友人と行った旅の話をしてくれた。親父の旅はいつも行き当たりばったりだ。単車で瀬戸大橋を渡ったり、無一文で屋久島で途方に暮れたりする人なのだ。四国の剣山へ友人と4人で行ったくだりのところで、相当面白いことを思い出したらしく、笑い始めて止まらなくなった。顔を真っ赤にしてピクピクする親父。とても耳順を目の前にした大人には見えない。仲居さんは最後まで僕等の冗談に笑ってくれた。

夕食が済んだら両親はさっさと寝てしまう。僕は今夜も一晩の相手を見つけることなく眠りにつく。今日あったことを思い出してみた。姪と厄年、ピカソそして私。あとは笑う仲居さん。