三千院 私を迎えにきてくれますか?

旅行3日目。今日が最終日。本日はバスに乘って大原三千院まで行くことにした。昨日旅館でバスの時刻や行き方なんかを調べてもらったので、その資料を持って宿を出る。京都は市内なら何度か来たことがあるし、京阪には大学院入試で散々乘ったので地理があるのだ。というわけで僕が案内役。

京阪三条まで地下鉄で行き、そこからバスに乗って大原へ向かう。着いたらそのまま三千院へ向けて出発した。山の上だし、木陰がけっこうあるので思ったより涼しい。帰りにかき氷を食べよう、などと言いつつ到着。入館料を払ったらそのまま建物の中へ履物を脱いで上がる。展示してあったものの中で一番興味を持ったのは十牛図京極夏彦の「鉄鼠の檻」を読んで知って以来、本物を見てみたかったのだ。

ここには国宝の阿弥陀三尊像がある。一旦履いた履物を脱いで階段を登ってみると、観光の女性客が二人で説明を聞いている。僕も便乗した。三尊像は彼岸から此岸へ人々の救済に向かうちょうどそのときの格好をしているらしい。つまりお堂の中が彼岸、外が此岸、そのとき僕が座っていた場所が三途の川だそうだ。「じゃあその階段は」って片方が尋ねると、「往生際」って返事が返ってきた。ああ、なるほど。往生際ね。ところで僕は家は一応仏教なんだけど、僕自身は特に仏教徒だとは思っていない。どちらかというと無宗教だ。無宗教で多宗教だ。こんな僕でも死ねば迎えに来てくれるんだろうか。思想面では仏教にインスパイアされることが多いから、迎えに来るのは頭に輪っかのついた天使ではなくて阿弥陀如来かもしれない。誰か救ってくれればの話だけど。小林秀雄の「無常といふこと」にあるように、「この世のことはとてもかくても候」くらい言えなければ駄目かもしれない。僕はなおこの世に未練が多過ぎる。まあ、死ぬ間際に「なお後世をたすけ給へ」と言えれば良いのさ。少なくとも親鸞の言葉を信じれば。(こんなこと言ってるから駄目だろうなあ。)

外に出てからかき氷を食べた。宇治茶のシロップで。冷たかったので熱いお茶と交互に口に運んだ。あまり意味ない。

山を下りてから京阪電車で四条へ向かう。三条駅で可愛らしい女の子(18くらい)から路線を尋ねられた。僕が女の子から道を尋かれることは滅多にない。(少なくとも見た目は)紳士なのに不思議なことだ。路線図を見せられてみるとハングルだった。韓国人の女の子らしい。僕はハングルが読めないのであたふた。ともかく出町柳へ行きたいことはすぐにわかったので、こっちじゃなくてあっちのホームだよ、とジェスチュアを混じえて説明。けっこう日本語ができるみたいで難なく通じた。僕は、彼女は今から京都大学を見学に行って、今年受験するものと推察している。

河原町で昼御飯を食べた後は京都駅へ。親の買い物に付き合う。ユーハイムバウムクーヘンを勧めておいた。もっと京都らしいものにすれば良かったか知ら。新幹線まで時間があったので、喫茶店に入った。今回の旅行の行程を思い出しながら色々話す。天橋立、福知山、平安神宮、美術館、大原。なかなかてんこ盛りな旅行だった。またいつか行こう、とか何とか言いながら両親と別れ、僕は大阪に戻った。

また行ってもいいな。水着の美女と、笑う仲居さんと、可愛らしい韓国人の女の子がいれば。