「エアーマンが倒せない」に見る同世代の意味

同世代って、空間的に離れていても関係なく同じ過去を共有することができるっていうことなのではないかとふと考えた。えらく真面目なこと考えているようだけど、なに、全然大したことではない。

最近動画サイトでロックマンを題材にした歌を見つけた。「エアーマンが倒せない」とか。どれくらい流行っているのかはよくわからないけど、少なくとも一部では結構人気が高いらしい。僕も初代ファミコン世代後期に入るので、ロックマンで遊んだことがある。しかもかなり好きだった。だから、歌詞の中の「倒せないよ、あの竜巻何回やってもよけれない」とか、「E缶だけは最後までとっておく」とか、「リーフシールドがあれば、エアーマンは楽に倒せるけど」とかいう場面をリアルな経験(自分自身の過去)として非常に鮮明に思い浮かべることができて、「あ〜、そうだよね〜」ってつぶやきながら苦笑してしまう。

この「エアーマンが倒せない」はYouTubeに3ヶ月前に登録されて、今までに79万回再生され、1200人のお気に入りに登録され、122のコメントがある。ニコ動の方では90万回再生され、5万7千のコメントが付いている。さらに複数の人が自分で歌った録音をアップしたり、自分でアニメーションまで作ってしまったり(3Dアニメーションってのもあった。すごいクオリティ高くて面白かった)、相当な数の替え歌が作られたりしている。ただエアーマンが倒せないロックマンを描写しただけの歌にこれほどの情熱が集まるって一体何なんだろうって考えたんだけど、要するにそれってその歌で描写されているのと同じ(細部までほぼピッタリ同じ)過去を共有してる(正確に言えば生成できる)人がそれだけいるってことなんだろうなと思った。全然ロックマンを知らなかったり、知っててもそんなに興味なかったりしたらこの歌聞いてもその場面を自分の過去としては認識しないだろうからね。その歌を歌ったり、アニメーションを作ったり、あるいは見て喜んでる人達って多分同世代なんではないかと僕は思うわけで、だから同世代って空間的に離れていても「同じ過去」を共有してる人達なんではないと考えたわけ。もっと正確に言うならば、その歌をきっかけにして同じ過去を生成できる人達かな。

そんなこんなで過ぎ去った日曜日でした。