「地球温暖化で何か問題でも?」に賛同するもの

内田先生のブログの「地球温暖化で何か問題でも?」が結構批判を浴びている様であるが、僕は内田先生の意見に概ね賛同するものである。というのも、僕も「温暖化でそんなにヒステリックにならんでも」と考えているからである。

このブログの主要な読者のほとんどは(と言っても片手で数えられる人数だけど…)僕の物理学科時代の同期(エリート)たちなので、彼等にとっては釈迦に説法なのだけれども。現在の温暖化に関するメディアなどでの主要な説明は、話が単純化され過ぎている。
二酸化炭素は温暖化ガスである → 二酸化炭素が増えると地球は温暖化する → 二酸化炭素を減らせば温暖化は防げる」
単純なのは大変結構であるが、単純化され過ぎた話は必ず落とし穴があるものである。例えば、温暖化ガスとしては二酸化炭素よりも水蒸気の方が効果が大きい、とか。単純化された話に手もなく騙されるのは現代人の性質らしい。「マイナスイオン」とか「水からの伝言」とかのニセ科学が蔓延するのも単純化された話がウケるからであろう。そういう単純化され過ぎていることの怪しさに気がつかず、その説明を聞いてわかったような気になった時点で思考停止に陥ってしまう現代人が、僕にはそら恐しいのである。(自分も何かそういう話に気がつかない間に騙されてるかもしれないと思うと余計にそら恐しい。)

知っての通り、地球は氷期間氷期を繰り返している。現在気候が安定しているのは地球規模で見るとほんの一時的なものであるわけで、今より暑い時期もあればず〜っと寒い時期もあったわけだ。だから、今地球がほんの何度か暑くなったところでそんなに騒ぎ立てなくても、と思うのである。大体生物が凍死する確率は減るわけだしね。「生態系に異変が」とか、「キリマンジャロ山頂の雪が溶けて」とかテレビでは言っているけど、今の生態系や環境が地球誕生以来ずっと続いていたわけではない。確かに白熊さんたちは困るわけで、その点に関して何も感じないわけではないけれど。もしこの温暖化が人間の営みが原因であるとはっきりわかったならば、色々とすることはある。しかし、前述のように温暖化ガスとして最も影響力があるのは水蒸気であるし、僕は温暖化には人間はあまり関係ないのではないかと考えている。

だからと言って、環境問題を放っておけと言っているわけではまったくない。むしろ、解決すべき問題は山積みなのだから、温暖化に裂いているリソースをもっと他の場所に使うべきではないかと言いたいのである。温暖化を解決するための施策が巡り巡って他の環境問題を解決することもあるだろう。でも、何かそれはとても頭が悪いことのように思えるのだ。何を解決するためにどんなことをするのか、そこのところの認識をはっきりさせておいた方が良いように思う。「バタフライ効果」とも言われるように環境問題は超複雑系であるから、それは大変難しいだろう。それでも、できるところまでしっかり考えるのが良いように感じる。安易に単純化された物語に逃げ込むのではなく、である。そうしないと、「温暖化を防ぐために水素カーに乗りましょう」というようなおかしな話が出てくる。水素カーは水蒸気を排出するのだから、温暖化を防ぎたいのか促進させたいのかよくわからない。ただ、水素カーは排気ガスを抑えて大気汚染を抑制するだろう。そういう話である。

環境問題を科学で語るのは難しい。前述の様に、超複雑系だからだ。科学で説明のついているものもあるし、ついていないものもある。ついていないものはそういうものとして、「よくわからない」レッテルをつけて考え続けなければいけないのだと思う。「答はわかっている」と叫ぶのではなく、である。これを僕は「知的励起状態に置く」と呼ぶことにする。単純化された物語に落ち着くのではなく、この知的励起状態に耐えられるくらい知的に頑丈になる、というのが、現代人の喫緊の問題であるように感じるのである。