秋は短調の大学生活

大学に入学した頃の話。下の日記に書いたようなわけで、僕はALICEの「秋止符」やビートルズの「Yesterday」が好きであった。その他、好きな曲は(クラシックがほとんどであるが)大体短調であった。そのため、僕は当初nr53に随分と暗い人だと思われていたらしい。誤解である。

暗い音楽が好きな人が暗い人だとは限らない。むしろ暗い曲を聞いて「この曲が好きだ」なんて言ってられるのは相当に気分が明るくて調子の良いときである。本当に気分が暗かったり悲しいときには暗い曲を聞きたくはならないものである。むしろ何もやる気が起きない。作曲家が短調の曲を書くときだって、恐らく暗いどん底の気分で書いていることはないだろう。少なくとも、昔あった悲しい出来事を後から思い出して書くのではなかろうかと思う。大体失恋ばかりをどこまでも悲しく歌ったフォークソングが流行ったとき、日本は大好景気であった。今からすると、よくもまああんな暗い曲ばかりみんな歌ったり聞いたりしていたものだと思うような時代であるが、日本全体が元気が良かったので全然気にならなかったのだろう。むしろそういう曲を聞いてちょっと悲しい気分になるのが心地良かったのである。失恋の悲しみを噛み締めることができるくらい、みんなの心にゆとりがあった時代なのだと思う。そういう時代でなかったら、悲しい出来事や悲しい歌からは目を逸らしたくなるのが普通である。

つまりそういう時代の曲が好きで、よく聞いていた大学1年の僕は、自分史上未曾有の好景気にあったわけである。怖いものはなく、前途洋々で意気揚々としていた時期だった。要は単に怖いもの知らずだっただけなのだけど。あの頃は確かに楽しかったけど、世間が見えていなかっただけであるので別にあの頃に戻りたいとは思わない。ただし、幾分羨しくはある。恐れを知らないからこそ飛び越えられる壁がある。人生の内にはそういう時期が何度か必要なのだと思う。

そう言えば、昨日ギター教室に大学1年の男の子が来ていた。大学のギター部に所属していて、僕と大学は違うけど、関西学生ギター連盟の後輩にはなる。大変明るくはきはきした子で、とても楽しそうであった。先生が、「若い人は元気でいいですね。君がうちに初めて来たときもあんな感じでしたよ。」と言っていた。そういえばそんなもんだったかもしれない。全然手に負えない難しい曲に手を出して、無茶苦茶弾いていた時期である。でもそんな怖いもの知らずのおかげで難曲が弾けるレベルまで向上したのである。いつまでもあんな感じでは困るけれど、そういう時期も必要である。彼等もこれからのギター部を背負って、前途多難であるけれどもしっかり乗り越えていって欲しいものである。と、こんな風に物思いに耽ってしまうのもまた秋という季節である。