家事は本質的に不毛であって

常々自分はなぜ家事をするのだろうと考えてきた。特に片付けと掃除である。フライパンを洗っては使い、使っては洗い、これでは使うために洗っているのか洗うために使っているのかわからないというものである。昔、アインシュタインが来日したときしきりにパイプを掃除しているのを見て、日本人の誰かが「あなたは煙草を吸うためにパイプを磨いているのか、パイプを磨くために煙草を吸っているのかわからない」と言ったそうだが、これもよく似た話である。それでもやりたくないわけではない。ただ、やりながら、我ながら不思議なことをするものだ、と面白がっているだけである。

最近になって、その意味がわかり始めてきた。僕は家事をすることで、この小さな自分の世界の崩壊を毎日数センチずつ押し戻しているのである。そこには何の生産性もない。ただただ不毛な作業である。不毛であるが、これを怠れば早晩使える食器や調理器がなくなり、ごみが散乱し、床はほこりだらけになる(今でもそうなりかけているけど)。世の中には、このように新しいものを何一つ生み出さず、誰もその仕事を評価しない類の仕事がある。崩壊を防いだこと、何も起こらなかったことが彼のしたことであるから、誰もその仕事の存在に気が付かない。この作業を自分の仕事だと引き受ける人がいるから社会は崩壊することなく存続を許されるのである。まさにライ麦畑のキャッチャーである。これは多分とても大切なことだと思う。だから今日も僕は、スポンジを片手にフライパンの汚れを落とすのである。

参考文献らしきもの

村上春樹にご用心
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5 村上春樹を読んだことがない人も、なんとなく本棚にある人も。
5 本はカラダで読め。
2 エッセイとしてなら・・・。