メジャーとマイナーのためらい

世の中には、メジャーになって欲しいと思うものと、マイナーなままでいて欲しいと思うものとがある。後者は、例えば(十分有名だけど)ラーメンズである。その心は、真に実力のある彼等が今のまま、彼等の個性のままにオリジナルのものを作り続けて欲しいということである。そのコアなファンがここにおり、私は彼等から出た彼等そのものを理解できるファンであるという宣言とともに、それが故に私は他のファンとは交換不可能な存在であるという確信(勘違い)を始める。もっと端的に言い換えると、私だけのラーメンズと言いたくなるようなファン心理を刺激する何かを彼等は生み出しており、これからもそうあり続けて欲しいということである。もし、彼等がテレビに頻出し始めて、みんなのラーメンズになってしまったら、僕は彼等のファンを止めるかもしれない。多分eggerもGO!GO!7188オリコンチャートNo.1を頻発し始め、万人うけする曲ばかり作るようになったら複雑な心境になるだろう。ちょっと違うけど、クラシックギター界で言えば大萩康司さんがそういう女性ファンを沢山作るタイプである(ハンサムでちょっと抜けてて、母性本能をくすぐるタイプ)。「将来大萩さんのお嫁さんになるの」という女性は相当数に登ると予測される(笑)。

一方で、メジャーになって欲しいと思う場合もある。僕にとっては、将来のクラシックギター界を担う子供達がそうである。教室の先生の話によると、今将来には世界でも通用しそうな可能性を持つギタリスト達がどんどん育ってきているようで、実に頼もしいことである。かつてのジョン ウィリアムズや、現在のデヴィッド ラッセル、パヴェル シュタイドルと同じ重みで世界の人々に日本人ギタリストの名が呼ばれる日が来ることを切に願って止まないものである。