れーきじょーたい

「寝ながら学べる構造主義」を読み直している。この後「私家版 ユダヤ文化論」を読み直す予定である。一度通して読んだのだけど、どうもいつまでたっても自分の中で熟れてないというか、腹を内側からくすぐられるような気持の悪さを感じるので今一度読み直して整理してみようと思ったからだ。思ったからだと言いつつ思ったのは読み終えた直後なのであって、もう数ヶ月も前の話である。今まで何してたのだ、天性の怠け者。でもこの間に色々なものを読んだり考えたりしてきたせいか少しは理解が進んでいるようであって、前は「ふーん」って思いながら読んだところが、今は「ああ、なるほど」って思いながら読んでいる。私は転んでもただでは怠けない。物理学に例えると、何だか励起状態にあったものが基底状態に落ち着いたような心地良さを感じる。気持ち悪さに身悶え掻き毟りながらも、よくわからないことを無闇に基底状態に降ろさない方が案外面白いものに出会えるものである。昔ネスカフェのCMだったかな、サグラダ ファミリア主任彫刻家の外尾悦郎さんが「作り続けることが大切なんですね」と言っていたのが今頃になって妙に印象的に響く。考え続けることが大切なんですね。諦めないで考えましょう。あせらず、ゆっくり急いで。

「考えるんだ。」羊男は言った。「生きている間はとにかく考え続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?何故考えるのかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら思考が停まる。一度思考が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから思考を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんと脳味噌を働かせて考え続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから思考が停まってしまう。」僕は目を上げて、また壁の上の影をしばらく見つめた。「でも考えるしかないんだよ。」と羊男は続けた。「それもとびっきり賢く考えるんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから考えるんだよ。生きている限り。」
これは村上春樹の「ダンス ダンス ダンス」の羊男の台詞から、「踊る」という言葉を「考える」に書き換えたものだ。ある日新聞を読みながら、答えのなさそうな問題を考え続けている人達の記事を読んで、ああ、この人達は踊り続けてるんだな、と気がついた。そしたら、自分がやっていることも同じであることに気がついた。すると、羊男の台詞は人が行っている全ての営みそのものであることに気がついた。僕たちはみんな踊り続けてるんだ。誰もかも。大人も子供もビジネスマンも政治家も。自分の影法師をパートナーにして(ああ、表紙絵じゃないか)。昔も、今も、これからも。意味なんてないんだよ。音楽の鳴っている間は踊り続けるんだ。だから羊男のこの台詞は、「考え続ける」でも「しゃべり続ける」でも「作り続ける」でも人のすることなら何にでも置き換えることができるのだ。踊るんだよ。踊り続けるんだ。意味なんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。
「のろいから、逃れるには、踊れ。」
「踊れ?踊るって何よ、どういうことなの。」
「わからない。でもきっとそのときが来たらわかるんだよ。」(劇団Piper「ひーはー」より)

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))