徹夜の眠さに耐えかねて

昼御飯を食べてからあまりにも眠たかったので昼寝をしたら案の定起きてみるとこの時間。元々これを覚悟で布団に入ったから今更どうこうしようという気はないのだけど、差し当たり晩御飯を如何すべき。台所は朝と昼の御飯を作ったまま散らかってるし、近くに食堂はない(吉野家ならある)。どうする。作るか作らぬか、人生最大の選択だ。

「ああ、私の心に住む悪魔が、『やっちまえよ!』とささやいている。私の心の中に住む天使、も、『やっちまえよ!』とささやいている。」(ラーメンズ第9回講演「鯨」より「バースデー」から引用)

トリュフの謎解き

チョコレートのトリュフが食べたいなぁと思ったところで、そういえばトリュフって三大珍味じゃなかったっけって思った。じゃああのチョコレートは一体何て名前だったっけ。考えれば考えるほどチョコレートがトリュフだった気がする。となると三大珍味の方は一体何だ。三大珍味を全部言えば思い出すか。えーと、キャビア、フォアグラ・・・、トリュフ?やっぱりトリュフじゃないか。

と悩み始めたのが昨日の午後の話。そのままうやむやになっていたのだけど、今気が向いたので調べてみると、「三大珍味のトリュフに形が似ているのでチョコレートのお菓子をトリュフと呼ぶ」だって。何のことはない、両方トリュフなんじゃないか。一つ賢くなった。調べてみるものである。

個人的銘作

徹夜明けの朝に書いた一連のブログ記事を自分で読んで、我ながら徹夜明けには銘作を頻発するものだと思った。多分明日の朝目覚めたときには全て駄作に変わっている。

「待って待って。多分ね、夜中だから面白いんだ。」(ラーメンズ第十回講演「雀」より「音遊」から引用)

クイズの神様

僕が小学生の頃、父が突然「ヒマラヤ山脈で一番高い山を上から3つ言えるか」と訊いてきた。僕が「わからない」と答えると、自慢気に3つの7千メートル級の山を教えてくれた。もうお気付きのように、父が教えてくれたのは誤りである。最も高いのは8千メートル級のエベレストなのだから(諸説あるけどまあ、一般的に)。その山々が何という名前であったか今となっては思い出せないのだけど、この話には続きがある。(もちろんある。ここで終わってはオチがない。)

僕はその3つの山を毎日必死になって覚えて、山の名前と標高を暗唱できるようになった。これでいつか誰かに「ヒマラヤ山脈で最も高い山を述べよ」と言われても大丈夫と思っていた矢先、クラスのイベントである物知りがクイズを出した。曰く
ヒマラヤ山脈で一番高い山は何でしょう?」
当然僕はここぞと思い、今時来たりと真っ先に手を挙げた。指名され、立ち上がって僕は自信を持ってこう答えた。
「エベレスト!」
そう、僕は「間違えて」しまったのである。あれだけ一生懸命覚えたのに。
「正解、約8848メートル。」(この標高も諸説あるけど許して)
という声を受けて自信満々に席につき、心の中で「ありがとう、お父さん。よくやった、自分。」とつぶやいていた。そして、「そう、その山は8千・・・、8千!?」。僕は間違えて正解を言い当てたのであった。そのとき僕がなぜ間違えて「エベレスト」と答えたのか、なぜ僕が「エベレスト」を知っていたのか今でもわからない。ただ僕は、あの時はクイズの神様が僕の耳元でそっと正解を囁いてくれたんだな、と思っている。

徹夜阿房面接

バイトの面接を受けてきた。徹夜明けで面接である。いくら何でも無謀というものだが眠れなかったものは仕様がない。電車を乗り継いででかけてきた。

家にいるときから余程ふらふらする。頭は朦朧とし、立ち上がると足が崩れそうになるのを堪えて髭を剃り、歯を磨き、顔を洗ったら少しはすっきりした。「うがい手水に身を清め」だ。落語の紙屑屋だね。何を着て行くべきかと考えたけど、面接だからやはりスーツだろう。大欠伸をしながらもそもそと着がえる。ワイシャツは、襟首が大分汚れているぞ。しわしわだし。クローゼットをひっかき回したらクリーニング済みのが出てきたのでそれに着替えた。それにしても久々に着てみるとやけにぶかぶかだな。仕方ないか。高校時代陸上部で鍛えた肉体に合わせて買ったスーツだからな。ベルトが、何だ、一杯に締めてもゆるゆるじゃないか。何とか上着で隠してと。ネクタイは、何か趣味が悪いな。これじゃあスーツで行く方が余程逆効果じゃないか。それでもこれしかない。まともな方のスーツは姉貴の家に置きっ放しだから。鏡に映った自分の姿に諦めの溜息をつきながら、仕方がないのでそれででかけた。

それでも駅まで着く間にはそんなダッサイ格好でもまあいいかという気分になってきた。住めば都、着慣れれば一張羅である。電車はこんなときに限って満員。掴まる吊革もないとはこのことだ。大分もう既に頭痛と吐き気が酷くなってきたけど忍耐は美徳と堪え忍ぶ。梅田に着くまでに内田百けん先生の「第一阿房列車」を読む。

電気機関車の鳴き声は曖昧である。蒸気機関車の汽笛なら、高い調子はピイであり、太ければポウで、そう云う風に書き現わす事が出来るけれども、電気機関車の汽笛はホニャアと云っている様でもあり、ケレヤアとも聞こえて、仮名で書く事も音標文字で現わす事も六ずかしい。

という辺りでもう笑いを堪え切れなくなってきた。それでも何とか忍耐は美徳と堪え忍び、十三を通り過ごしたのだけど、「ちッとやそッとの」のくだりで限界に逹してしまった。同行のヒマラヤ山系が「ちっとや、そっとの」と言ったところで話が途切れてしまったので、線路を刻んで走る歯切れのいい音が「ちッとやそッとの、ちッとやそッとの」の聞こえだしたらしい。

汽車に乗っていて、そう云う事が口に乗って、それが耳についたら、どこ迄行っても振るい落とせるものではない。「ちッとやそッとの、ちッとやそッとの」もう蛙なぞいない。今度着くのはどこだろう。お酒がないだろう。
ちッとやそッとの、ちッとやそッとの「山系君」
「はあ」
ちッとやそッとの「お酒はどうだ」
口に乗り、耳に憑いたばかりでなく、お酒を飲み、佃煮を突っついている手先にその文句が乗り移って、汽車が線路を刻むタクトにつれ、「ちッとやそッとの」の手踊りを始めそうになった。
「ちッとやそッとの、こう手を出して」
「何ですか、先生」
「ちッとやそッとのボオイを呼んで」

もう笑いが止まらない。その内阪急電車のリズムまで「ちッとやそッとの、ちッとやそッとの」に聞こえ出した。「ちッとやそッとの、もう十三か」「ちッとやそッとの、ようやく中津」「ちッとやそッとの、梅田に着いた」。梅田に着いた。

これから地下鉄に乗り換えてもう暫くの場所だ。あと30分もかかりそうにない場所なのに、約束の時間まであと1時間以上もある。できることなら早く終わらせて家に帰って寝たかったので、ちょっと早く家を出たのだけど、これはちょいとやり過ぎか。地下鉄に乗った。あと55分。最寄り駅に着いた。あと50分。元気だったらその辺を歩き回って時間を潰すのだけど、何分徹夜明けなのでそういうわけにもいかない。仕方がないからゆっくりゆっくりと歩いて店へ向かう。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、着いた。あと30分。他にどうにも仕様がないので店に入ってバイトの面接に来ましたと言う。「お早いですね、じゃあ予定より早いですけど始めましょうか。」とはならない。「すみません。30分ほど店内を見て回って時間を潰してもらえますか。」あ、はい。店内をぶらぶらしながら、そういえばどういう経緯でバイトをすることにしたのか説明を全然考えていなかったことに気がついた。店員さんの動きを見ならがお客さんとの会話が耳に入る。段々自分が持ち合わせている知識では役に立たないのではないかと思われ始めた。段々面接が心配になってくる。一体どんな知識が要求されるんだろう。もっと経験がないと駄目かな。もしかしたらブラインドとかやらされたりして。そんなことになったら一発でアウトだよ。とかここまで来て恐れ恐れ待っていると、ようやく呼ばれた。面接は3対1でごく普通だった。相手が自分にどんなことをして欲しいと思っているかは大体わかっているつもりだ。こちらは元々それに答えるような仕事をするつもりなので、僕は「心配には及びませんよ」と説明するだけだ。バイトで店員の経験がないのが唯一難しいところだけど、好きなことだし、大丈夫だろう。

面接が終わって、家に着くころにはもうふらふらになっていた。どうして最近試験とか面接とか全部寝不足とか徹夜明けとかで受けてるんだろう。基本情報技術者も免許の学科試験もバイトの面接も。あの2つはそれでも2時間とか3、4時間とか寝てから受けたからまだ良い方だ。今回の徹夜はもう本当に応えた。「ちッとやそッとの、睡眠くらい」「ちッとやそッとの、とればいいのに」「ちッとやそッとの、後悔ばかりで」「ちッとやそッとも、学ばない」。

第一阿房列車 (新潮文庫)

第一阿房列車 (新潮文庫)

生産地明記義務

あまりにお腹空いたのでコンビニで買ってきたチョコ入りの蒸しパン。ベルギー産のチョコレートを使用していますと書かれていた。生産地の明記が厳しくなっている今、ベルギー産のチョコレートであることは疑いないのだろうけど、よくよく考えてみるとベルギーから取り寄せればどんなチョコレートでもベルギー産チョコレートである。騙されたかな。

直らない癖

僕にはどうも昔から物を投げ置く癖がある。テレビのリモコンを投げ、脱いだ服を洗濯籠に投げ入れ、ベランダから布団をベッドまで投げ飛ばす。布団の如く捉え所のないものを如何にして投げ飛ばすのかは、その昔ハンマー投げで心得た極意によるものである。もちろん投げる前には確認を怠らない。壊れない場所へ、割れ物のないことを確認した後に投げるので、うっかり壊してしまったなどということはない。

そして、つい癖なものでベッドの上目掛けて本を投げ置く。これがいただけない。たまに先生と呼んで尊敬する人の本を投げ置いた日には本に向かって平謝りである。どうにかして直そうと試みるのだけど、長年の癖はなかなか抜けない。何とかして本だけは投げないように注意できないものであろうか。